震災から3年目に突入したな・・・
昨日は雪がチラチラ降ったり吹雪いたりの一日だった・・
2年前のあの日もこんな天気だったな・・・
職場での突然の揺れ・・携帯のワンセグで見た信じられない光景・・・ 停電と寒さ・・・ロウソクの明かりで過ごす夜と鍋で炊いた米・・・
近所の人達との助け合い・・2時間並んで給油したガソリン・・ 食い物が無くなったスーパーやコンビニ・・・・
原発の報道に釘付けになった・・チェルノブイリを知ってる世代だから恐怖で寝られなかった・・ 暴走を止められなければ半径300kmはダメになる・・東京もダメになる・・日本は終わる・・そう考えてた・・
この震災・・ それは単なる記憶ではなく「刻印」として頭に残ってる・・・
だけど、同じ東北でも23達は被災者ではない・・・あの場所の人達に比べたら我々の苦労は屁みたいなものなんだ・・
実際に被災地に行って実感した大災害・・これが経済大国日本なのだろうか・・・無残だった・・・
そして・・なんと我慢強く耐える人達なのだろうか・・今でもそうだ・・同じ東北人の23が見てもそう思う・・・ 答えの一つは・・「・震災だからだけじゃなく、震災前から我々は耐えながら暮らして来た」からだと思う。
今、NHKで八重の桜を放送してるね^^ 23は見てないから話しがドコまで進んでるのか分からない・・・ 23は以前「白虎隊」がドラマで放送されたときに、本などで福島の会津の戦乱を呼んだことがある。 薩長軍に破れ徹底的にイジメられた会津の人々・・会津武士達の死骸の埋葬さえ禁じられ野ざらしにさせられ、女達は全て薩長武士に乱暴され、島流しにされた人々は犬やカモメの死骸を食べて生き延びた・・・と23が読んだ本に書かれてあった・・だからあの番組「八重・・・」は23は見たくない・・かわいそうだ・・でも、 どのような経緯で生き残った彼等が同志社大学を設立したのかは興味あるけど^^ 23がバスプロをしてた頃、福島の湖で開催されるトーナメントで福島のプロが「九州(薩長)のヤツ達だけには負けたくない!」 と言ってたのを思い出す・・・それほど近代の出来事なのだ・・
あらら・・ 話しはそれたが、会津に並び、物凄い忍耐力と逆境に耐える力が我々にはあるのだと思う・・ そう思わないとやってらんない・・・・
日本国民全員がそうだが、日本人は涙をググっとこらえて先を見る・・頑張ろうと努力するんだ・・ 隣国国民のようにカメラの前でオイオイと泣き叫んで崩れ落ちるようなミジメな姿は絶対に見せない・・涙はかみ締めて立ち上がろうとするんだ・・それも武士道なのかは分らないが、そうやって進んできたのが小さな島国でありながら大きな経済を持つ国になれた要因。 ミジメに泣いて暮らしてたら戦後の復興はなかったんだ。
最近話題になってるのが「復興と1セットになった防潮堤 何と、ほとんど説明も無いままに被害にあった地域全体を10mの堤防で囲うとのこと・・・ しかも、もうゼネコンには発注してあり、これを作ってからでないと街の復興計画も進まないと・・ ロクに海で遊んだことも無い中央の役人が巧みに進めた公共事業・・ゼネコン大儲けの罠・・・ 多くの三陸の浜や磯を潰して、町から一切海が見えなくなる・・・海と共に生きてきた人達が喜ぶわけがないじゃないか・・ 文化や景観など一切無視の金儲け・・ 23も海の近くに住んでるが・・海岸を全部潰して堤防を造り、男鹿の磯も潰してコンクリートに変える・・なんて考えられないよ・・
「人命を守るため」って言えば誰も反対しないとでも思ってるのだろうか・・ まさに川の上流にダムを造りまくったのと同じ理論だ・・・「洪水を防いで人命を救うためだ」と言い続けて造り続けたダム・・ 防潮堤ってのはまさに役所のダム理論と同じだ・・ 人間ごときが作った堤防に太平洋の海水を止める力は無いよ・・・堤防で海も見えない三陸の街・・・想像しただけで終わってるよ・・ベルリンの壁のようだ・・・しかも我々が生きてる間に来るか来ないかも分らない津波の対策・・・
早く生活の復興のほうに金を使えよ・・! 無力な堤防なんかより高台に繋がる広い道路と高い非難ビルを点在させるほうがずっと有効で現実的だよ!
なんて、つぶやいてみた23だった・・^^
コメントレスだよ~~^^
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